【読書】『わが告白 コンフェシオン』を読みました
岡井隆さん死去 92歳、戦後短歌界けん引した歌人 (写真=共同) :日本経済新聞
岡井隆さん 安住と闘った戦後短歌の巨人 :日本経済新聞 ※無料会員登録で読めます
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歌人・岡井隆さん死去 92歳、戦後の短歌界をけん引:東京新聞 TOKYO Web
時代の雰囲気敏感に捉え作風は変遷 最期まで歌人貫く 岡井隆さん死去:東京新聞 TOKYO Web
以上、ざっと訃報や評伝、wikiを紹介しておく。
岡井先生・・・10年ほど前だろうか、私が短歌に出会ってひそかに作り始め、数年前には地方の公開講座に来訪した岡井先生のお話を聴講する機会があり、その時以来、自分の中では岡井"先生"と呼んでいるのだが・・・といえば、短歌をする人はそのプロフィールをなんとなく知ることになり、興味を覚えるのではないだろうか。
四人の女性と結婚や同棲をくりかえしてきたその私生活。
そして、若き日にキリスト教の洗礼を受けていることも、私の興味を引いた。
この夏、まったく不意に岡井先生の訃報に接し、あぁ、先生もついに、、、と悲しい気持ちになったのだった。
岡井先生のことをネットで検索していると、『わが告白』という本を出されていることを知って興味を抱いた。
謎に包まれたプライベートな愛や恋がどう語られているのか、信仰がどう語られているのか、知りたかった。
いつか読んでみたいな、と思いながらそのままになっていたが、岡井先生とは関係なく、この秋とある短歌関連の催しにふらりと足を運ぶと、物販に岡井先生の『わが告白 コンフェシオン』を見つけて、この本に出会い、連れ帰ったのであった。
わが告白で何が語られるのか。
コンフェシオン、、、罪の告白、白状、キリスト教用語としては、告解、懺悔という副題をもったこの本で、どんな罪の告白が語られるのか。
わくわくしながら、静かにページをめくり始めた。
前置き、告白の決意、日記、エッセイ、過去のワンシーン、遅々として進まない告白、躊躇、揺らぎ、文学、短歌、、、そのような断片が、一人語りのように、あるいは誰かに向けた手紙のように、語りよどみながら語られる。
のらり、くらり、のらり、くらり、一向に核心に触れえない遠回りな筆致。
書きたくないのだろうか?
書けないのだろうか?
それとも、意図的に書かないのだろうか?
それはもう、じれったいほどの行きつ戻りつがありながら、「告白」らしきもの?が進んでいくのである。
結局、最終章まで読み進んで、あっ!という心情のきらめきを見せたかのような一文があり、そして、読み終わって、これは詩だったのかもしれない、と気づいてうなったのだった。
まんまと、岡井先生の術中にはまってしまったような、してやられた感と、歓喜とがあった。
結局、告白の詳細も分からず、四人の女性とのつまびらかな恋愛模様もついに曖昧なまま、しかし、岡井先生の愛の事実が確かに刻まれているような、なんとも不思議な本だった。
ひとつ確かだったのは、先生が「ユング・フラウ(若き妻)」と呼び、「家妻」と呼んでいる現在のご伴侶への深い愛情がそこかしこにあふれており、心温まる一種のラブレターを読んでいるかのようでもあった。
収穫だったのは、岡井先生がプロテスタント、組合派で受洗したことを知ったことだった。
本書の中で、カトリック教会に入ってベンチに座っていたことなどが書かれていたので、岡井先生の中の信仰が今どうなっているのか、もう少し知りたいところではあったが、バッハを好んで聞かれたり、規範は聖書に依っているとあったりして、なんとなく想像されるのだった。
最後はご自宅で天に召され、葬儀・告別式は執り行われなかった(故人の遺志により)とのことなので、歌人として、医師として、信仰者として、その最後の心情はどのようであったかと思いながら、きっと愛するご伴侶に看取られた幸いなものだったのではないかと想像を巡らせるのである。
この本について、賛否は両論らしいのだが、個人的にはなかなかにしびれた興味深い一冊であった。岡井先生の肉声のような筆致だったこともあるが、久しぶりに楽しい読書だった。