【読書】『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』を読みました
引き続き、「死」を考えるための本を手に取りました。
ホスピス医・小澤竹俊先生の『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』です。
小澤先生のことは、NHK「プロフェッショナル~仕事の流儀」の番組で拝見して知りました。
感想は、下の記事に書いています。
そもそもわたしは、いつか死ぬだろうけれどもまだまだ死なない、それは今ではないし遠い先のことだ、とどこかで思っていたふしがあります。
そしてそれは、自分は死ぬはずがない、という根拠のない見通し、勘違い、錯覚につながっていたような気がします。
ですが、上記の記事でも書いたように、ある日を境に、死が本当に自分事になったのでした。
死ぬはずがないどころか、そんな余裕はまるでないくらいにいつ死ぬかもしれないという事実を眼前に突き付けられた契機でした。
わたしは、誰かの死を看取ったという経験がありません。
祖父のときも祖母のときも、死に顔を目にして遺骨も拾いながら、息をひきとる場面に立ち会うことはできませんでした。
わたしは、人が死にゆく瞬間を知らないのです。
未知なるものへの恐れなのかどうか、死はどこか忌むべきもので、穢れで、異世界のもので、わたしの心をおびやかしてくる、覆い隠しておきたいものと考えていたような気がします。
そんな死が、自分の身にもいつか必ず降りかかるものであることを、認めたくなかったのかもしれません。
本書のタイトル『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』は、あのAppleの創業者、スティーブ・ジョブスの言葉を想起させます。
もし今日が人生最後の日だとしたら、
今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?
- スティーブ・ジョブス -
本書も、今日が人生最後の日だと思って自分のやりたいことをやりなさい、というようなことが書かれているのかと思いました。
ですが、想像とは少し違っていました。
もちろん、健康なうち余力のあるうちに自分のしたいことをすることは、人生に後悔を残さないために大切だと語られていましたが、それよりも、人は死の前でいかに無力であるかがより深く語られていたように思います。
人が死を目の前にして見えてくるのは、やりたいこと、やりたかったことはもちろん、この人生の意味はなんだったのか、ということなのではないか。
死に向かう耐え難い苦痛、死に対する絶望のなかで、人は無力に打ちのめされる。
しかし、自分の弱さを知り、自分の握りしめていたものを手放して他者にゆだねることができたとき、人は心穏やかになれる。
そして、今まで自分を支えてくれていた大切な存在に気づき、感謝し、死の先にある未来に希望をつなぎ、いつまでも共にあり続けることができる。
そんなことを考えさせてくれました。
私は「人は亡くなった後、天国にいく」「死は人生の通過点にすぎない」と思っています。
これはあくまでも、クリスチャンである私の死生観であり、異なる考えを抱いている方もいらっしゃるでしょう。
しかし、どのような死生観を持っていようと、「肉体がこの世を去った後も、その人の存在は家族や周囲の人の心の中で生き続ける」という事実は変わりません。(p.151)
ホスピス医として今まで多くの人々を看取ってきた小澤先生は、そう語ります。
今のわたしはまったく、「死」のことしか見えていませんでした。
死をすべての終わり「ジ・エンド」のように思ってしまっていました。
でも、死は通過点でしかない。
そう思えば、死は終わりなんかではないのです。
人によって、それこそ考え方はさまざまでしょうが、わたしも天国を信じています。
死は通過点にすぎないことを、俯瞰して見たらいいのだと気づきました。
だからといって、ジタバタしないとは限らないのが困ったところですが…。
だって、人間だもの、ね。