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【読書】『人生最後のご馳走』を読みました

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『人生最後のご馳走』を読みました。

副題にもあるように、淀川キリスト教病院ホスピスこどもホスピス病院のリクエスト食についてのお話。

重い病を得て、人生の終の住処をホスピスに定めて最後のときを過ごす人たち。

ホスピスでは、週に一度、自分が食べたいと思う食事をリクエストして作ってもらうことができます。

それまでに別の病院で、おもにがんのつらい治療の影響で食事が摂れなかった人も、このホスピスでは最大限の緩和ケアを受け、身体的・精神的に苦痛がやわらげられると、食欲がもどってくることが多いそう。

病院食というと味気ない白っぽい食事が思い浮かびますが、このホスピスでは、通常のメニューも選択制がとられており、なおかつ週に一度は今食べたいものをなんでもリクエストすることができます。

ホスピス15床のうち、比較的状態がよくおしゃべりが好きな方々いくにんかの患者さんに、著者の青山ゆみこさんがリクエスト食についての思い出をインタビューする形でまとめられています。

 

天ぷら、洋食、お鮨、秋刀魚の塩焼き、お好み焼き、ステーキ、煮物、うどん、などなど、患者さんそれぞれの人生の思い出がつまったリクエスト食。

なんともおいしそうな彩り豊かな実物写真が文章の冒頭に添えられており、さしずめお料理本のような体裁。

そこに、それぞれの患者さんのリクエスト食をめぐる人生の思い出がなごやかに紡がれます。

余命いくばくもない病状でありながら、明日のリクエスト食を心待ちにする気持ち。

患者さんの中の、明日への生きる希望を感じます。

 

このリクエスト食は、緩和ケアの一環としての、食事面でのサポートという取り組みのひとつであるようです。

 

副院長の池永医師は語ります。

ホスピスで患者さんのお世話をする私たちは、『わたしはあなたのことを大切に思っている』という思いをそれぞれの立場で患者さんに伝えることが大事。

 

キリスト教の思想をベースにした病院であることはリクエスト食の実現に大いに影響しているかもしれませんが、終末期医療に携わる医療従事者は多かれ少なかれ、同じような思いを抱いているのではないでしょうか。

リクエスト食の提供によって、患者さんへのホスピタリティを表現する。

 

そのことが患者さんの『自分は大切な存在である』という意識につながる。そこに意味があるのだ

 

そう想っていてくださる医療従事者の存在にもまた、希望を見出します。

 

著者による「おわりに」の一文に、この取材の意味すべてがこめられています。

「ここに最期まで生ききった人がいる」ということを伝えたい、という著者の思いは、温かい励ましとして心に届くものです。

また、この取材自体が、患者さんへの「自分史セラピー」につながるという前出・池永医師の協力もあってのことだといいます。

自分史セラピー、自伝療法とは、ニュージーランドにあるホスピスで始まった療法で、末期がんの患者さんに自伝を書いてもらうことを通して、患者さんが自分の人生を振り返り、確認し、何かに気づくことで意味を見出し、自伝の作成によって家族への贈り物にもなる、という癒しのセラピーのこと。

たぶん、ディグニティー・セラピー(尊厳療法)などにも通ずるものなのでしょう。

この本を読んでいるわたしまで、おだやかな気分に満たされるような一冊で、十分にその役割を果たしているものと思います。

 

淀川キリスト教病院ホスピスのような環境に身を置けることは、あるいは特別に恵まれたことかもしれません。

ですが、どこにあっても、わたしたち一人一人は大切にされるべき存在であって、大切な存在なのだと自認できたとき、そこには等しく平安が訪れるのでしょう。

家族に囲まれた人も、そうでない人も、違いはありません。

わたしたちは、自分の人生にそれぞれの意味を見出したとき、真に自分を愛し、ゆるすことができるのではないでしょうか。

できうればわたしも、そうした静かな受容のなかで、いつか(いつとはわからないが)訪れるだろう最期のときまで人生を生ききりたい、と願うのです。