うたたねモード

セミリタイア?っぽく生きてみる。

半年ぶりの教会、イースター礼拝に出席してきました

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去る四月二十一日(日)、イースター礼拝に出席してきました。

昨年秋に体調を崩して入退院してから、ひと冬の間ずっと家にこもっていたので、毎週日曜日の教会での礼拝もずっとお休みしていました。

そのおかげで、インフルエンザにもかからず風邪もひかずに無事に越冬することができ、ようやく春を迎えることができました。

体調もなんとか安定してきたようですし、そろそろ教会での礼拝に復帰する時がやってきたのかもしれません。

折しもイースター、ちょうどいいじゃないの、ということで、半年ぶりの教会復帰です。

 

最近、巷でも「イースター」のワードを目にする機会が増えてきました。

そもそも、イースターとはなにか?

 

復活祭(ふっかつさい、ギリシア語: Πάσχα、ラテン語: Pascha、フランス語: Pâques、英語: Easter、ドイツ語: Ostern、ロシア語: Пасха)は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭。

多くの教会で特別な礼拝(典礼・奉神礼)が行われるほか、様々な習慣・習俗・行事がある。

正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼ぶ。カトリック教会では「復活の主日」とも呼ばれ、聖公会プロテスタントなどでは「復活日」(ふっかつび)や、英語から「イースター」とも呼ぶ。「復活節」(ふっかつせつ)は、西方教会において復活祭からの一定期間を指す用法の他、プロテスタントの一部で復活祭(復活日)当日を指す用法がある。

引用:復活祭 - Wikipedia

 

というわけで、キリスト教界では最も重要なイベント、復活祭のことです。

実はクリスマス以上に、イースターの方が特別な日だったりします。

 

エスが十字架につけられ、死んで葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえった、そのことの記念なわけです。

この〈イエスの十字架の死と復活〉が、キリスト教の救いの中心なのです、たぶん。

 

ま、その辺のことはおいとくとして。

イースター礼拝の朝の様子などをつらつらと思い出してみましょう。

 

* * *

 

半年ぶりに、日曜の朝に身支度をして、車で20分の教会へ向かいました。

出かけるのが10分遅れてしまって、しかも道中で渋滞にはまって、結局教会にたどりついた時には、礼拝開始の鐘の音が鳴り終わった直後でした。

あー、こんな特別な日に、大切な日なのに、やっぱりわたしったら遅刻魔だわ・・・とうなだれながら。

もう急いでも仕方ないので、ゆるい上り勾配をゆっくり歩いて会堂へ。

ゆっくり足でも気が急いているためか、息切れマックスです。

復帰、早かったかな、とちょっと後悔しました。

後ろのドアから忍び足で会堂に入り、いちばん後ろのベンチの空席に座りました。

 

讃美歌、主の祈り、使徒信条と、ひそかに息切れがおさまらず、声が出せません。

ほんとはそのたびに起立しなければならないのですが、堂々と座りつつ、口パクです。

パクパクパク・・・。

 

そうこうしているうちに、牧師先生の説教が始まりました。

呼吸を整えるのに必死で、意識ぼんやり、いっこうに話が頭に入ってきません。

あれよ、という間に説教が終わってしまいました。

えーっと、イースターのどんなお話でしたっけ?みたいな感じで。(^_^;)

 

そして讃美歌、「球根の中には」。

このころには呼吸も整ってきたので、歌ってみました。

↓こんな歌です。

 


www.youtube.com

 

リードオルガンの伴奏で、会衆とともに声を合わせて歌います。

 

寒い冬の中、春はめざめ。

深い闇の中、夜明けが近づき。

おそれは信仰に、死は復活に、ついに変えられる永遠の朝。

 

あー、今の自分みたいだ。

寒い冬の中、闇の中、死の怖れの中にあって。

そうだ、わたしにはその先に希望があるんだ。

そうだよ、そうなんだよーーーー、と。

歌ってる最中に、えもいわれぬ思いが胸いっぱいにこみ上げて、うるうると涙がにじんでしまいました。

あぁ、これぞイースターの恵み。

 

次に、洗礼式がありました。

ティーンエイジャーの男子2名が、洗礼を受けるのを見守ります。

「父と、子と、聖霊の御名によって」と頭に手を置かれている様を見て、数十年前の自分の洗礼をも思い出しました。

あー、洗礼式はいつ見てもいいなー、とほのぼのしながら。

若い彼らの信仰告白にも耳を傾けます。

あー、しっかりしてるなー、「後の者が先になり」ってほんとだなー、これから幸いな道を歩んでほしいなー、とほほえましく思いながら。

 

次に、聖餐式です。

ひとかけらのパンとブドウ液を、イエスを思いながらいただきます。

ありがたし。

 

そしてまた讃美歌をはさみつつ、献金です。

礼拝の途中で献金箱がまわってくるのですが、そこに献金(袋)を投入します。

昨年10月から4月まで、休んでいた7ヶ月分の月定献金と、会堂建築献金と、イースター特別献金と、席上献金と。

さすがに、懐が堪えます。(^_^;)

教会に復帰できたことを感謝して感謝献金も捧げようと思いましたが、あれやこれやの献金が重なったため、また後日にすることにしました。

これらは教会維持のために用いられる献金ですから、もちろん感謝してお捧げしておりますよ、えぇ。(ニッコリ)

 

で、頌栄、祝祷、応答唱(聖歌隊)、後奏をもって、礼拝終了です。

 

* * *

 

礼拝後、牧師先生から連絡事項、報告などあり。

受洗者の紹介、新来会者の紹介。

そして不意に、「今日はそのさんもおみえです、そのさんは心臓病で、体調を崩されてずっと動くこともできない状態でしたが、ようやくよくなられて、今日のイースターにいらっしゃいました、みなさん、あとでお声掛けなさってください」とちょっと大げさな?紹介を受け、ビクッ!と立ち上がって、みなさんの拍手の中、愛想をふりまきながらペコペコおじぎをすることになりました。

こういうの、苦手なんですけれどね。(^_^;)

 

そして散会。

地方にしては比較的大きめな教会なので人数が多く、そのせいか、なかなかみなさんと個人的にお知り合いになれないのですが、その距離感がこの教会のいいところでもあり、わたしのような新参者にとってはクールなところでもあり。

散会後はみなさん三々五々出口へと列をなしますが、前のベンチに座っていた見知った顔ですら、わたしの方を振り向くことなく、ちょっとさみしいなぁ、と思いながら立ち上がって出口に向かうと、一人のおねえさんが「そのさん!」と駆け寄ってくれました。

教会内のグループでいつもお世話になっているおねえさんです。

わたしの顔を見るなり、「ハグしてもいい? (ギューー!) あー、ほんとによかったねーー!」と喜んでくださいました。

半年ぶりにおねえさんと再会してあたたかいハグを受けたら、意図せず、もう涙がポロポロとこぼれてしまって、ぬぐってもぬぐっても涙がこぼれてしまって、よろこびの笑みを浮かべながら号泣です。(T_T)

そのうちには、別のふたりのおねえさん方も来てくださって、口々に「よかったねー!」と言ってくださり、号泣が止まりません。

通りすがった牧師先生も、にっこりと右手を差し出して、握手をしてくださいました。

 

なんでこんなに泣いてるんだろう、まさか泣くとは思わなかったのに、と自分の反応に驚きながらも、あぁ、今までつらかったんだなぁ、ずっとこらえてきたんだなぁ、志を同じくする仲間との再会で、耐えてきた気持ちがあふれてしまったんだなぁ、としみじみ思い至りました。

この場所があること、同じ志の人がいて自分のために祈ってくれること、そして、わたしたちの罪のために死に、復活をもって死に打ち勝ってくださった神が、いつもわたしたちと共にいてくださる、ということが、わたしにとってとても大きななぐさめになっているということに、改めて気づくのです。

感謝しかありません。

 

* * *

 

そんな感じのイースター礼拝でした。

礼拝後の愛餐会(ランチ会)は失礼して、帰り道にコンビニに寄って家人にお昼のサンドイッチを買い、午後は遊びにやってきた子供たちとしばし戯れ、夕方には統一地方選の投票にでかけ、夜は和食やさんで外食しました。

お刺身とミックスフライの彩御膳、おいしかったです。

穏やかな、よい一日でした。

小学生の作文みたいな拙さで、すみません。(^_^;)

 

イースター、おめでとうございます。