彼岸に逢いに
三月二十一日、お彼岸のお中日。
お昼に、菓子処で買ってきたおはぎをたべる。
つぶあん、黒ゴマ、きなこ。
昔は家人が朝早くから手作りをして三段のお重に詰め、あちこちに配ったりもしていたが、今はそんなこともなくなった。
整然としたお店のおはぎはおいしいが、でも、家人手作りの田舎のおはぎには、格別のやさしいぬくもりがあったような気がする。
テレビを消して、静かな居間で午睡をする。
近くの球場から聞こえてくる少年野球の子供たちの声は、もう聞こえなくなっていた。
ふと目覚めると、三時。
外から家人が戻ってきた。
暗くならないうちに、家人と二人でお墓参りに向かう。
歩いて三分もかからない所に代々の墓地がある。
小さいころから季節ごとに通った日陰の苔むした小道をぬけると、きれいに清掃されたお墓にたどりついた。
お線香に火をつけ、お墓に手向ける。
石塔を見つめながら手を合わせるが、わたしは一族とは異なる信仰を持ったので、別に故人たちを拝みはしない。
せいぜい、故人たちの天での安息を願って短く神に祈るくらいだ。
お彼岸やお盆のお墓参りは、わたしにとってはあまり意味を持たない。
どちらかというと、いやほとんど、お墓参りによって心の平安を得ているだろう家人に同行することで、家人がより喜ぶだろう、という思いから行っている。
決して故人たちを蔑ろにするわけではないけれど、死んだ人より生きてる人が大切、というのがわたしの考えだ。
つまりは、家人のためのお墓参り、と言えなくもない。
お線香を上げ終えると、墓石の隣に立つ墓碑銘にしばし目を留めた。
いちばん古くは慶応年間から確認できる代々の戒名や没年などが刻まれている。
わたしの名も、いずれはここに刻まれることになるだろう。
ただ、信仰上、わたしには戒名は不要だ。
没年と名前だけのシンプルなものでいい。
すると、他の者に比して、戒名分のスペース(空白)が生まれてしまうことになる。
思案のしどころだ。
そのスペースに何か好きな言葉、それとも聖書の一節でも刻んでもらおうか、あと小さな十字も、などと想像してみる。
後世、一族に一風変わった人物がいたと思われそうなことが、ちょっと気恥ずかしく、またちょっと勇ましくもあるような。
そうやって墓碑銘をとっくりと眺めているうちには、自ずと故人たちを偲ぶ気持ちが湧いてくる。
わたしから遡ることのできる、すべてつながっている人々の名。
その人々の存在の末裔として、父母がわたしをもうけ、わたしが今ここにある。
ひとすじの生命の流れをくんだ縁ある一族の一人ひとりが、かつて実際に生きた人としてありありと目前に立ち上り、時を越えて思い返されるひととき。
それは、いつになく厳かなものだった。
遠天の彼方と、あるいは彼岸と呼ばれる世界への入り口が交わる境界のような、この此岸の墓前にて、思う。
わたしが今日ここに来たのは、確かに、この地で「生きて在った人々」に逢うためでもあったのだ、と。
ただそれだけの小さな気づきにすぎないけれど、その小さな邂逅にも、なにかしらの意味があるように思われた。
人は生きて、やがて死ぬ。
死んでしまうけれど、それでも、死ぬまで生きる。
死んでしまっても、あとに残った人々の中でよみがえり、確かに生き続ける。
ある意味わたしたちは、永遠に生き続ける。
たとえ忘れられてしまったとしても、生まれた者はみな、生きたことには違いないのだ。
露と消える生命の一滴にすぎないようなわたしであっても、それは変わらないのだ。
それでいい、と思った。
春分のやわらかい陽光に目を細めながら、青空を見上げる。
静かで穏やかな午後だ。
またいつもの日常に戻るべく、ゆっくりとした足取りでお墓を後にした。