雨上がりの空に
初冬。
薄曇りの雲間から、明るい薄日が窓辺の畳に射していた朝。
そのうちに雲間がパッと切れ、強い冬の陽が射し込んで、窓辺近くに寝転んでいたわたしの顔に照りつけ、眩しい。
陽をよけてしばらくまどろんでいると、スマホアプリから振動とともにポップアップ通知が届き、この地域の豪雨情報を知った。
窓の外に目をやると、相変わらず陽が射しているが、雲が激しく動いているようだ。
しばらくすると、明るい陽射しを受けながらザーザーと雨が落ちてきたことに気づき、ぼんやりと「天気雨」を眺めていた。
その雨は、パタリと止んで、また陽が射した。
とにかく、朝から空の様子がくるくると変わる天気だった。
午後、家人が外から帰ってきた。
掘りごたつに入ってひと息つくなり、「これ見て」と言ってわたしの方にスマホを差し出した。
見ると、青空に大きな虹が写っていた。
家人は、大きな虹すぎて全景が写りきらなかった、みんな外に出てスマホで虹を撮った、仕事先に行って〇〇さんにもスマホの虹を見せたら「あれはきれいな虹でしたね」と話題になった、と虹の話でもちきりだった外の世界の様子をひとしきり話し続けた。
コンコン、と表の窓ガラスがノックされた。
学校から帰ってきた子供たちの顔がふたつ並んでいる。
窓を開けると、開口一番に「すごいんだよ、虹が四回もでたんだよ」と、またしても虹の話をとめどなく興奮気味に話してきかせてくれた。
虹、そうか。
わたしが知らないうちに、すごい虹が出たのか。
こんな天気だから、虹も出るかもしれないね。
なんて、とりとめのない気持ちで子供たちの話に相槌を打っていたら、また明るい陽を受けながら空からパラパラと雨が落ちてきた。
辺りは光のベールがかけられたような不思議な空気が漂い、雨が、そして空気の粒子が、キラキラと光っていた。
狐の嫁入り、天気雨。
いかにも、虹がでそうなお天気。
「これ、また虹が出るかもしれないよ」と子供たちに告げると、
「え、そうなの? どっちに?」
「たぶん東の空かな、あっち」
と指をさすと、
「あ、虹がでてる!」
と子供たちが声をあげた。
家の中からでは見えない。
わたしも急いで勝手口から外に出てみると、子供たちが見上げる東の空に、大きな虹がかかっているのが見えた。
「わー、また虹、すごい、そのちゃんの予言あたったね」
「予言? それは年の巧だね」と言って虹を眺めながら、
「何かいいことが起こるかもしれないよ」
と付け加えると、子供たちの目がキラキラと輝いた。
天気雨が上がり、虹がすっと消えていくまでの時間は、本当に神秘的だった。
雨で湿った空気に西日が射し、世界は地から立ち上るような薄靄の光にけぶり、庭の木立の梢も、芝紅葉も、そこに立つ子供たちも、何もかもがキラキラと輝いていた。
そして、南東の空にはひっそりと白い三日月が浮かんでいた。
虹ひとつ、こうして子供も大人も浮き立っている。
わたしも確かにきれいな虹を見た。
だがわたしは実のところ、虹よりも、虹をよろこぶ子供たちや家人の存在そのものにこそ目を留め、自分のよろこびとして心を温めていたのだった。
毎日、ただ明けては暮れていく静かな日々の繰り返し。
その静かな日常に訪れた、この賑やかなひとときを、真空パックのようにして心にしまい、大事にとっておきたいと思った。
雨上がりの空にかかった小さな恵みを、ギュッとにぎりしめる。