年末年始のことなど
小正月も過ぎてしまいましたが、新年おめでとうございます。
今年もみなさまにとりまして幸多き一年でありますよう祈ります。
と、新年のごあいさつもそこそこに、昨年の暮れから新年を迎えたあたりの暮らしぶりを振り返ってみたいと思います。
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唐突ですが、冬は苦手です。
徐々に肌寒さを増し、日増しに日が短くなり、冷たく暗くなってゆく世界。
11月も半ばを越えた頃からなんとなく心が晴れなくなってきて、ウォーキングもパタリと途絶えて外に出なくなり、小さく硬い小石のようにちぢこまって、家の中でじっとしているような有り様になります。
この時季になるといつも、「冬至十日前がいちばん暗いんだ」とおじいちゃんがよく言っていたことを思い出します。
冬至がひとつの谷底になっていて、今がいちばん暗いんだ、あともう少しの辛抱だ、冬至を過ぎれは、と思いながら、暗闇にのみこまれてゆく一日一日を穴ぐらで身をひそめるようにやり過ごすのです。
そんな中、2020年1月に迫ったWindows7のサポート終了を目前にひかえて、新しいパソコンに買い替えなければならないという、ちょっと面倒な案件を抱えていました。
今まで使っていたパソコンは使用年数9年でありながらまだ全然古びておらず、当代並みのSSDとメモリを積んでいるので速さも不満なく、OSさえ問題なければまだまだ使えたはずなのに、そのOSが、と思うと、やはり口惜しいといいますか(ちなみにWindows10へのアップグレード対象外)。
仕方なく、いよいよネットでパソコンのトレンドをリサーチし始め、価格.comで売れ筋をつかみ、重い腰を上げて家電量販店に現物の偵察に出かけました。
値段、スペック、外観、重さ、特にキーボード配列やタッチのチェックを一通り終えると、もう勢いです、あたりをつけていたパソコンをその場で購入してしまいました。
本当は後日にネットで最安値を買おうと思っていたのですが、それも面倒なくらい疲れ切って、この際モノをゲットして早く家に帰りたかったのです(気づけばフロアを一時間近くうろうろしながら考え込んでいました)。
いちばん欲しかったのは、もう20年来のファンである某社のパソコン。
カッコよさが売りのブランドです。
でも、いかんせんお値段がお高い、、、手が出ません。
仕事からドロップアウトしてボーナスが入ってくる予定もないその日暮らしの身には、贅沢を言っていられる余裕も、選択の余地も、そうそうないのでした。
結果的に入手したのは、平均的スペックの型落ち中価格帯パソコンです。
同じくパソコン買い換えの必要があった家人には鬼のような激安品をネットで見繕っておきながら、いざ自分のパソコンとなるとそこまで激安にふりきれない欲がありまして、どうしても、そこそこ愛着の持てるパソコンを選んでしまったのでした。
つまるところ、気に入ったのでオッケーです。
それから半月を新パソコン2台の初期設定やデータ移行その他あれこれに費やし、それと同時に、Windows10の大型アップデートに耐えうるべく、光回線の導入も決断しました。
今まではADSL回線(12M)で十分だったのですが、Windows10での使用には限界がありました。遅すぎる。
光回線もネットでリサーチ、ネットから申し込み、宅内工事、宅外工事を経て、光電話も含めて最終的に開通したのは、申込みから三週間が経過した12月半ばのことでした。
宅内工事の際、段取りや実際の工事作業にかなり手間取り、難航する工事のお兄さんには何度もため息をもらされ、さらには「まだADSLだったんですか?」「ADSLからの乗り換えだと開通作業が自分ではできないと思いますよ」「今回は特別に説明しますから」「でも絶対できませんね」などと謎のマウントをとられつつ、ディスられつつ、(こちとらネット歴だけはムダに長いんだお、ネットにつなぐためなら音響カプラーだって使っちゃうお、逆にここまでADSLでがんばってこられたことをほめてお)みたいな気持ちで舌打ちしたい思いに駆られながら、「えー、そーなんですかー?」としか返せなかったわけですが。
結局、肩すかしのようにスムーズに無線LANも光電話もつなぐことができ、無事に光回線が開通となってほっとしたのでした。
そんなことをしているうちに、デジタルの毒気にあてられたものか、案件が立て込んで疲れてしまったものか、眼精疲労、肩こり、頭痛がひどくなり、果ては不眠気味になってしまいました。
今年は大丈夫そうだろうかとヒヤヒヤしていたのですが、やはり大丈夫ではなかった。
冬になると、たいがい不調をきたします。
季節性のものなのでしょうか。
かかりつけの先生にその旨を告げると、「まずは睡眠を改善しましょう」ということで、体内時計を整える類いの眠剤をいただきました。
スマホ時間を減らすことも心掛け、それ以来なんとか眠れるようになりました。
12月の第4日曜日、クリスマス礼拝。
秋以降、冬ごもりを言い訳に教会からも足が遠のいていたのですが、この日ばかりは礼拝に集いたい気持ちがおこり、不調を盾に家人をドライバーにお願いして教会にでかけました。
讃美歌をうたい、使徒信条をとなえ、詩編を交読し、説教をきき、聖餐に与る。
それだけなのですが、特にこの日の礼拝はクリスマスの意味を考え、そして、日々わたしたちはどのように生きることを問われているのかを考えながら、静かに思いをめぐらせる時となりました。
そしてまた、教会のことについては関知しないスタンスの家人が、その日は何も言わずに同行してくれ、会堂のベンチで隣りに座り一緒に礼拝に集ってくれたことが、ただただうれしかったのでした。
それがちょうど、冬至の日のこと。
待ち望んだ冬至を越えて、徐々に日が長く、明るくなってゆく世界。
少しずつ浮上してゆくような?きもち。
暖かい冬。
ひとまず大過なく一年を無事に過ごせたことに安堵し、巷の慌ただしさをよそに、自分ひとり静かな年の瀬が暮れていったような気がします。
新年を迎えて、なんとなく気分も一新。
お節を食べ、お雑煮を食べ、百人一首を楽しみ、今冬豊作だったらしいいただきものの柚子もかつてないほどよく食べて。
そしてはや、一月半ばを過ぎました。
検診の予定くらいしか入っていないカレンダーをながめていると、また変わらぬ日常が始まったことを感じます。
新しいこの一年、何があるかわかりませんが、何があっても何がなくても、その時その時の助けを求めながら、ゆっくり歩いていくしかないのかもしれません。
大切なものを見失わないように、大切なものを大切にして。
なかなかそれも難しいのですけれどね。
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気が向いた夕暮れ時には、お菓子といっしょにお茶を一服などしています。