この体調不良は秋のせいかもしれない
朝起きると、少しめまいがした。
寝不足も手伝っているのかもしれない。
今日はお茶のお稽古だ。
なんとしても行きたい。行かねばならぬ。
クラクラする頭を極力固定しながら、軽く朝食をすませ、身支度を整える。
めまい感がある。でも、大丈夫だと思う。
不安からか、お腹の調子も悪い。
逃げたらだめだ。
いや、逃げてもいいけれど、そもそも逃げるほどなにも強制されていない。
行くのも自由、休むのも自由。
三か月ぶりのお稽古、今日はどうしても行きたかった。
外はしとしとと雨が降り、肌寒い。
いつの間にか、すっかり秋になっていた。
車のハンドルを握る。
まだどことなくフワフワ、フラフラするような気がするけれど、
「大丈夫、大丈夫、自分がんばってるよ、えらいえらい、大丈夫だよ」
とおまじないのように自分を励ましながら、心を落ち着かせる。
幸い稽古場は近いので、車を乗りだしてしまえばなんとかなった。
行き渋ってグズグスしているうちに、お稽古の時間を過ぎてしまっていた。
途中で先生から着信があり、「今、向っています」と応答して稽古場に急ぐ。
稽古場に着くと、ちょうど席入りが始まったところで、挨拶もそこそこに掛け軸を拝見したり、風炉釜を拝見したりして、席につく。
三か月ぶりで、敬愛する先生と、同年代の社中のお顔を拝見したら、やっと安堵した。
もう大丈夫だ。
一席、お客で薄茶をいただく。
沖縄土産の塩ちんすこうも、香りよい薄茶も美味しかった。
しばし、茶室の中で心を無にする。
前夜、樹木希林さんの密着ドキュメンタリーを観た。
来月公開される茶道映画『日日是好日』で、お茶の先生を演じた希林さん。
凛として、平静で、ユーモアに満ち、本気で人に、そして自らの人生に向き合っていた希林さんの姿を思い出して、少し胸が苦しくなる。
わたしも、わたしを全身に抱えながら、静かにお茶に向き合う。
一人の社中が早退すると、わたしの薄茶点前稽古となった。
体調がすぐれない今日、本当はお客として一席だけいただいて帰ろうと思っていたのだが、なんだか気が変わり、ダメだったら途中でギブアップするつもりで、お点前のお稽古に入らせていただいた。
運び点前、薄茶点前。
風炉釜の湯がよく沸き立っていた。
先生の言うがまま、手を動かし、袱紗をさばき、茶器を清め、薄茶を点てる。
自分が何をしているのか、まだまったくわかっていない。
だが、お茶を点てた京焼の月見茶碗が返されると、客との心の交換を無事に終えることができたようで、わたしの心も湯に満たされるように温かくなった。
最後までお道具をしまい終えた途端、脚がガクガクになっていた。
掛け軸には、大きなひとつの丸の字(円)が描かれていた。
「円相」といって、禅で悟りの対象として描かれた円のことで、人の心は本来は皆、円満で平等なことを示しているとされるもの、らしい。
九月には、天然忌といって如心斎(じょしんさい)を偲び、この円相の掛け軸をかけ、供茶をする習わしがあるという。
竹筒に入れられた茶花は、白芙蓉、ホトトギス、シモツケ、ススキ。
(※アイキャッチ画像は、シモツケの花です)
お棚は竹台子(たけだいす)。
来月、国の重文である某迎賓館で開催される合同茶会にお誘いをいただき、先生とご一緒するかもしれない。
お稽古から帰ると、お昼をパクついて、すぐさま失業認定のためにハローワークへ。
先日一件求人に応募したのだが、案の定、お祈りメールをいだだいてしまった。
まぁ、ボチボチいこう。
お茶のお稽古にハローワーク、ヘロヘロになりながらダブルヘッダーの予定をこなせたつもりだったが、ハロワのベンチでついに力尽き、息切れとお腹の不調と倦怠感で身動きがとれなくなってしまった。
仕方なく、マイカーを駐車場に残してタクシーで帰宅。
大丈夫、大丈夫、とがんばっていたのに、結局ダメだった。
敗北感に打ちのめされる。
今月初めに風邪を引いてから、いや、遡れば、六月末に熱中症とお稽古疲労でダウンしてから、ずっと体調がすぐれない。
ひと夏中、そしてすっかり秋となった今まで、家に引きこもる毎日だった。
完全に体力と自信を失っている。
外出しようとすると、不安感とお腹の不調に見舞われる。
心持ちも、どことなく沈みがちと言えなくもない。
憂うつ、というほどではないけれど、気分が晴れない。
しとしとと秋雨の降る今日のような日は、余計にそう感じる。
季節性のうつだろうか。
ともかく、この体調不良は秋のせいかもしれない。
これから冬至に向けて、わたしにとって心身ともに厳しい季節がやってくる。
そろそろ掘りごたつにカバー布団をかけて、しっかり秋支度をしなければ。
少し早く寝て、少し早く起きて、太陽の光をたっぷりと浴びなければ。
可能な限り、お散歩や筋トレもしなければ。
この秋冬をどう過ごすか、考えなければならない。
あとはどうか、この一年を無事に過ごせるよう、祈るしかない。