うたたねモード

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茶室は運びと炎熱の地獄だった・・・六月のお稽古篇

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梅雨が明けた。

暑い。まことに暑い。

 

おとといは、六月のお茶のお稽古の日だった。

タイトルのごとく、とてつもなく過酷なお稽古で、二日経った今現在も疲労困憊のありさまである。

 

 

過酷なむし暑さ

梅雨明け直前で、朝からひどくむし暑いくもり日だった。

定刻通り、稽古場へ。

先生にごあいさつをして、お水屋の準備をお手伝いする。

次々に生徒さんたちが訪れ、先輩がお茶を掃く(お抹茶を茶器に移し入れる)ところを見学。

 

さっと準備が整い、席入り。

掛け軸拝見。

この日の掛け軸は、水の流れに石が三つ、その近くに三匹の沢蟹が描かれ、「渓流」の文字が添えられている涼やかな画讃だ。

床柱の花入れは桂籠(かつらかご)というふっくらと大ぶりに編まれた籠で、白い宗旦槿(そうたんむくげ)、半夏生(はんげしょう)、縞葦(しまあし)の茶花が飾られている。

ちなみに、トップのアイキャッチ画像は半夏生。夏を代表する茶花らしい。

 

それにしてもむし暑い。

茶室にはエアコンがなく、扇風機がゆるく回っているだけだが、ときおり動く風はなまぬるい。

七分袖の軽いリネンシャツまでが肌にまとわりついて腕まくりをするが、首筋にじっと汗がにじんでくる。

扇子でパタパタあおぐわけにもいかず、むし暑さをしのぐすべがない。

 

先輩1の薄茶点前を一席は見学。

先輩2の薄茶点前を一席、客としていただく。

 

お茶はおいしいが、あいかわらず正座がつらい。

それにこのむし暑さが加わり、いつも以上の疲労感を覚えていた。

 

過酷な運び点前

その日はじめて、わたしも薄茶のお点前に入ることをゆるされた。

すでに体力は半分を切りはじめていたが、意を決して臨む。

 

夏仕様の風炉の薄茶点前は、「運び点前」からはじまる。

茶室には釜がかかっているだけで、ほかのお道具は出ていない。

それを水屋から客前に運び出すのだ。

 

まずは水指(みずさし)。

水をたっぷりと入れた陶器の水指は、ずっしりと2kgほどあるだろうか。重い。

その水指の下部を両手で持って、茶室の茶道口の前に座り、一礼。

立ち上がって茶室に入り、道具畳に進んで座り、お釜の右横に据え置く。

立ち上がってお水屋に戻り、仕組んだ茶碗(+茶筅・茶杓・茶巾)を左手、薄茶器を右手に持って立ち、茶室に運び入れ、道具畳に進んで座り、水指の前に置く。

立ち上がってお水屋に戻り、仕組んだ建水(けんすい)(+柄杓・蓋置)を左手に持って立ち、茶室に運び入れ、道具畳に進んで座り、建水を自分の左横に置く。

 

ここでやっと薄茶のお点前に入れる。

 

先輩方のお点前を見てはいたが、「運び」のことまではまったく考えていなかった。

いざ自分が運んでみると、それがいかに過酷な動きであるかを思い知らされた。

立って、運んで、座って、立って、運んで、座って、といった繰り返し。

それも、お道具を手に持って。

間違っても「よっこらしょ」なんて掛け声は出せないし、どこかにつかまり立ちするなんてこともできない。

涼しい顔で重いものも持ち運び、美しく静かな立ち居振る舞いをせねばならない。

その動きは、実はスクワット以上の過酷さだということをおくびにも出さずに。

 

筋力よわよわなわたしには、これはかなりつらい。

つらいを通り越して、もう、

 

運び地獄

 

である。

 

こんなこととは、つゆぞ知らなかった。

聞いてない。

 

これを今風に表現すると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運び、半端ないって!

あいつ、半端ないって!

立ったり座ったり、めっちゃ運んだりするもん。

そんなんできひんやん、普通。

そんなんできる?

言っといてや、運ぶんやったら。

運び、きついなー。

どうやったら涼しい顔して運べるんやろ?

 

 

 

みたいな。

 

冗談抜きで、わたしにとっては息も絶えだえな運び点前なのだ。

 

過酷な風炉釜の炭火、そして沸き立つ湯

運び点前から、いよいよ薄茶点前に入る。

釜の前に座ったとき、思った。

 

釜の炭火からの輻射熱が座に満ちて、暑い。

もう夏だ。

ただでさえ、むし暑いというのに。

さらに、風炉の釜の下で燃える炭火の熱。

 

暑い。

というか、熱い

 

ほんとうに、ここでお点前をするのか・・・

これは過酷きわまりない・・・

 

心のなかで、気が遠くなりそうなため息をつきながら、居ずまいを正した。

 

お点前開始の一礼。

先生の指示通りに、建水や柄杓、茶碗や茶器を動かし、ふくさをさばいて茶器を清め、茶杓を清めて、すべての道具を置き合わせる。

 

次に、茶筅通しをする湯を汲むために、釜の蓋を開けなければならない。

左手に柄杓を持ち、右手にふくさを持って釜の蓋を開けようとした、その時、

 

モォォォーーーワァーーーーー

 

と、熱い湯気が立ちのぼり、ふくさ越しに蓋をつかんでいた人差し指と中指を直撃した。

 

あつっっっ!!!

 

熱さに驚いて小さく声をあげると同時に、動揺して右手がぐらつき、蓋裏の露が容赦なく釜の表面に落ち、

 

ジュジュッ! ジューーー!

 

と派手な音をあげる。

 

 

急いで蓋を取り上げ、蓋置に置く。

 

最初に、手前に水平に蓋を引いて蒸気をのがせばよかったのだろうが、蓋裏の露をきることに頭がいって、釜の真上で蓋をすこし向こうに倒してしまったために、湯気が手に直撃することになったのだった。

 

指がヒリヒリして、少し赤くなっている。

幸い水ぶくれにはならなかったが、軽いやけどを負ってしまったようだ。

あまりの(じぶん的)大惨事に、動揺が止まらない。

 

この日のむし暑さ。

そして、風炉釜の炭火の、暑さ。

さらに、釜で沸き立つ湯の、熱さ。

 

これはもう、

 

炎熱地獄

 

である。

 

おそろしい・・・

 

はじめて点てた薄茶一服

先生には心配をしていただいたが、なんとか大丈夫そうだったので、そのままお点前続行となった。

 

茶筅通しをし、茶碗をふき、お抹茶を茶杓でふたつすくい入れ、かきならし、湯を汲んで茶碗に注ぎ、茶筅を振ってお茶を点てる。

茶筅をひいて、点てた薄茶を客に出す。

薄茶を服した客から茶碗が返される。

「おしまいください」の声を受け、「おしまいにいたします」と一礼。

茶筅すすぎをしたところで、途中ではあるが、薄茶点前の割稽古が終了となった。

 

先生と先輩からねぎらいの拍手をいただき、ふぅ、とひとつ息をついた。

 

茶の湯とは

利休のことばに、

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて

のむばかりなる事と知るべし

とあるそうだが。

 

湯を沸かし、お茶を点て、のむ。

茶の湯とは、ただそれだけのこと。

 

だが、その簡単そうなことが、じつは簡単ではない。

シンプルなことが、じつは深い。

やさしそうなことが、じつは厳しく難しい。

 

先輩の「おいしかったです」のひとことが、素直にうれしかった。

その一方で、まだ何もしらず何もわからないおのれの非力を思い、茶の湯の過酷な実態にふれたことで、打ちのめされた感を抱かざるをえないのだった。

 

疲労困憊のなかで

四時間にわたるお稽古が終わって二日が経った。

太ももの筋肉痛、全身のだるさ、ときおりの息切れ感、ぐったり感。

まだまだ、疲労困憊のさなかにある。

 

わたしには、無理かもしれない。

やっぱり、できないかもしれない。

 

半ば、心が折れかかっている。

 

お稽古の茶室で思った。

 

わたしは、なぜここにいるのだろう。

わたしは、なにをしているのだろう。

それなのに、なぜこんなにお茶やお菓子がおいしいのだろう。

 

わけがわからない。

 

混乱する思いと、疲れた身体。

 

脳裏には、渓流に遊ぶ三匹の沢蟹の掛け軸と、青々しい半夏生の茶花が浮かぶ。

すると一瞬だけ、涼やかな風をふっと頬に感じるような気がするのだ。

 

レースのカーテンで梅雨明けの夏の日差しをさえぎり、エアコンの効いた部屋でだるい身体を横たえながら、ぼんやりとあの茶室でのお稽古を思い出していた一日だった。