はじめてのお茶会
先日、お誘いを受けて、はじめてのお茶会に行ってきました。
お茶会といっても、茶事というフォーマルなお茶会ではなく、いわゆる大寄せのお茶会(大きな会場で大人数が集い複数のお茶席が一斉に行われるもの)です。
誘ってくださったのは、小さい頃に習っていたピアノの先生。
この先生、お茶も教えておられます。
先生と、先生のお友達のご婦人、そしてわたしの三人で連れ立って。
お茶会の様子を語る前に、その前段となる話を少し。
先生との再会
先生には小学校就学前からピアノを習っていましたが、わたしが病気をしてピアノのお稽古をやめたのを機に疎遠になりました。
先生はその後遠方にお引越しされ、交流のないまま長い年月が流れて・・・
その先生がまた郷里に戻ってこられ、街中でバッタリ再会したのです。
そんな経緯で、また旧交を温めるようになったのでした。
茶道体験
昨年のある日、そう、あれは退職してまもなく、まだ毎日ぐったりと過ごしていた頃、先生がお茶のお稽古(見学)に誘ってくださいました。
お茶なんて何もわからないのですけれど、茶道にはなんとなく憧れがあって。
昔まだ元気だった時に、剣道や弓道をかじったことがありまして、〇〇道とつくものにはおよそ興味を惹かれてしまうのです。
なので、誘われるままにお稽古をのぞかせていただきました。
たしか、八畳のお茶室。
床の間には掛け軸と季節の茶花。
めったにはかないスカートと白い靴下をはいて、他の生徒さん三人とともに「客」としてお茶をいただきました。
先生の指示に従って、何度も手をついて礼をして。
お菓子を取って食べ。
茶碗を取ったり置いたり、おしいただいたり、回したり、飲んだらまた戻したり、茶碗の姿を右から左から、また手に持ってとくと拝見したり。
薄茶の次に出された濃茶の、トロリと艶のある液体に衝撃を受けたり。
お茶室の静寂の中でお茶をいただく。
ただそれだけなのに、半端ない緊張感に包まれながらの茶道体験。
日本人でありながら知らなかった世界・・・カルチャーショックでした。
で、感想を一言でいうと・・・
足が激シビレる!!!
これに尽きました。(泣)
正座による強烈な足の痺れのために憧れは打ち砕かれ、わたしには茶道は無理だ、とすっかり断念したのでした。
心に残るもの
断念したはずなのに、その後もずっと何かが心に残っているのです。
型通りのお茶のお稽古になんの意味があるのか。
足の痺れに耐えたところで、何が得られるのか。
一体、なんのメリットがあるというのか。
…と、いかに即物的な考えがよぎろうとも、わたしの内に何かが留まり続けるのを認めないわけにはいきませんでした。
目には見えない深遠な何かが、茶道の世界にはありそうな気がして、しっかり心を捉えられてしまったかのようでした。
そんな思いを抱きながら、一冊の本をぽつりぽつり読み始めたのは、お茶のお稽古見学から一年以上が経った今夏のことでした。
日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
- 作者: 森下典子
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遅読なのでまだ読了していないのですが、ほぼ毎日、この本を読むべく携えて自室と居間を行ったり来たりしていたのです(今現在も)。
そんな折に、先生からお茶会にお誘いいただいたのでした。
天の導きというべきか、これはもう行くしかないでしょ、というタイミングでした。
はじめてのお茶会
お待たせしました。
冒頭の続き、本題の、お茶会の様子です。
先生からは、事前にチケット(お茶席券)とお懐紙をいただいていたので、自分では和紙の懐紙入れと菓子切り(ステンレス製楊枝)だけ用意しました。
装いは、クローゼットで眠っていたツイードのスーツで。
・・・・・
会場は中規模ギャラリーホール。
様々な流派によるお茶席がある中で、三席のお茶席に入ることができます。
まずは無料の市民茶席へ。
数人の小さい子供がお運びさんとなって、次々にお茶を運んでくれます。
お茶碗が傾いでいて危なっかしい、けど微笑ましい。
上手に座る先生から手ほどきを受けながら、お菓子とお茶をいただきます。
薄茶、ちょっとビターです。
次は江戸千家のお茶席へ。
先ほどの市民茶席と同様、立礼(りゅうれい)という椅子席でお茶をいただく形式です。
難敵の足の痺れも気にすることなく、とっても楽でよいです。
お菓子は、練り切りの主菓子。
ゆっくりいただいたつもりですが、食道に詰まりそうになって焦りました!
運ばれてきた薄茶にホッとしつつも、量が多くて何度も口に運びます。
「またお茶の味が違うわね」と先生に言われても、さっぱり違いがわかりません。
ビターなことは確かです。
二席を終えたところで、レストランにてランチ。
ナポリタンをいただきながら、先生と、お友達のご婦人と、和やかに談笑。
初対面のご婦人とも、あれやこれやお話が弾みました。
若い頃は知らない人とこんな風におしゃべりできなかったなぁ、何を話していいかすらわからなかったなぁ、それが今や親のような世代のお二方と普通におしゃべりしてるし・・・
そんなことを思って、自分もずいぶん歳をとったものだとある種の感慨を覚えたのでした。
さて、ランチの後にまた一席。
今度は遠州流のお茶席へ。
ここでも立礼です。
やっとお席の風景が見えてきたものなのか、亭主と正客(しょうきゃく/いちばん上座の客)があれこれ会話を交わしていることに気づきました。
お菓子は、柿を模した練り切りの主菓子。
さすがにお腹いっぱいで、懐紙に包んでバッグに忍ばせます。
茶碗は萩焼だそうで、この辺でやっと茶碗に目を向ける余裕が生まれていました。
薄茶、三口半で吸いきります。
お茶のビター加減にも慣れてきました。
美味しさ云々はともかく、身体によさそうな印象です。
もう一席入れるチケットがありましたが、先生のご判断でここまでとし、券を主菓子に交換していただいて帰途につきました。
晩秋の空は晴れ渡り、街の紅葉が美しい盛りの、充実の一日でした。
直感に従って
近年、こんなにワクワクしたのは久しぶりです。
というか、久しく皆無でした。
この高揚が、進むべき道を示してくれているような気がするのです。
昨年のお稽古の後、わたしが茶道を断念したのは、正座による足の痺れと、お金のことでした。
この二つは断念に相当するほど大きくて。
とにかく足の痺れが拷問でしかない。心が折れました。
それと、お稽古にはお月謝が発生します。
お月謝×12ヶ月でいくらいくら・・・と、ついそろばんを弾いてしまいます。
セミリタイア、つまりは無職なのに、お月謝いくらいくらは結構な金額。
それに見合ったリターンが得られるか、なんて考えてしまっていました。
でも、この先いつまで生きられるか、なんて分からないのです。
持病を抱えて先が見通せないわたしの場合は、特に。
目先のお金を惜しんで、したいこともせずに漫然とワクワクしない方に流れたとして、それこそ何が残るというのでしょうか。
つまらなすぎる。
約15年前、大きな心臓手術をした後に、何をしていいのかわからずに毎日泣いていました。
その時、話を聞いてくれた看護師さんが言ったのです。
「今までやりたいと思ってもできなかったことを、これからはしてください」と。
今でも、やりたくても体力的にできないことはあります。
でも、やりたくて、かつできることもある。
そのひとつが茶道なのです。
ここはひとつ、直感に従って進んでみようか、と思うに至りました。
とはいえ、正座に耐えられなくてあっという間に挫折するかもしれません。
それでも、やらないよりは、やってみた方が断然楽しそうでしょ?
・・・と、内なる自分の声がします。
今日、先生に先日のお礼のお手紙を書いて投函しました。
「茶道、習ってみたいです」の言葉を添えて。
追記
お稽古に乗り気になったのは、月一回というゆるゆるペースが気に入ったからでもありました。
無理がなさそうなので。
いつから始めるか、ほんとに始めるかどうかは、神のみぞ知る、ですけど。(笑)