結婚をコスパで考える人
こんな記事を読んだ。
自立した個が他者とつながる超ソロ社会。
(既婚も未婚も非婚も)それぞれの立場を尊重し多様性を認める生涯未婚時代。
そこに厳然と立ちはだかる結婚プレッシャー、という考察。
その中で大きく首肯してしまったのが、
結婚に関して、女性は相手の年収や経済的安定は絶対に譲れないし、男もまた結婚による自分への経済的圧迫を極度に嫌う
という『超ソロ社会』での言及と、
家族は本質的にコストパフォーマンスが悪いため、コスパや合理的計算で考えると結婚はかえって遠のいてしまう
という『生涯未婚時代』での指摘である。
いるいる、こういう人。
コスパ男
そんなコスパ男が、過去にいた。
わたしが過去に出会ったあの人は、「経済的圧迫を極度に嫌った」し、何事も「コスパ」とか「リスク」とか「効率」とかを合理的に考える人だった。
地方には不釣り合いなほどのおしゃれな服、それなりの腕時計を身に着け、足元は米国製の革靴、そしてレイバンの黒縁メガネ。
二台持ちするスマホとガラケーには本革ケース。
好きな趣味にはお金に糸目をつけず、乗ってる車は3.5Lの大型SUV。
生活費のかからない実家暮らし。
それなのに、いつもお金のことを気にしていた。
この時間でこの金額・・・コスパ悪いよね。
え? スタバ行くの? 高くない?
車も維持費がかかるから軽にするつもり。
ユニクロよりGUに行こうかと思う。
医療費かかるんでしょ?
雑誌の定期購読してるの?
携帯代ってどれくらい?
服ってどんなブランドを買うの?
ブログやってるの?
結婚したら当然働くでしょ?
働けないって、じゃあそれで家事は完璧にできるわけ?
人間関係ってギブアンドテイクでしょ?
とかね。
もうね、これ以外にも信じられない言葉を山ほど聞いたような気がする。
(今思うと、かなりモラハラ気質だし)
コスパはどうか、どうすればお金がかからないか、どれだけお金がかかるのか、どれだけ稼げるのか。
お金、お金、お金・・・
自分のために使うお金は惜しまないけれど、人(わたし)のために使うお金は惜しい。
人(わたし)とこの先ずっと一緒にいるメリットとデメリットを秤にかける。
人(わたし)を抱えることによるコストを考える。
人(わたし)が自分の人生に及ぼすリスクを考える。
なんだか、ずっとそんな風に見られていることを感じていた。
結婚をコスパで考えているのだろう。
結局、そんな合理的、実利的な考え方でしかわたしを見られなかったあの人の中には、わたしへの想いなんてものは無かったに等しい。
コスパではなく、人生を共に歩む相手を意志を持って選び取る、結婚するという、深い淵を飛び越えるような勇気も情熱も無かったのだ。
ただそれだけなのだ。
根本的に、愛が欠落していた。
案の定、破綻したけれど。
大切なもの
今の若い人たち(ばかりではないが)って、結婚しないのか、結婚できないのか、よくわからないけど。
でも、コスパ男の例を見ると、経済的なことを考える人は多いのかな、と思う。
これからは結婚制度自体も絶対的でなくなるかもしれないが、他者とつながり、他者と関わらなければ人は生きていけないことに変わりはない。
自己の自立も必要だろう。
他者への寛容も必要だろう。
その上で、互いにコミットし続ける意志をもたなければ、いずれ立ち行かなくなる。
結婚するにしても、結婚しないにしても。
結局の現状は、みんな自分がかわいいということだ。
経済的に、精神的に、環境的に、自分が脅かされ、傷つけられるのを忌避している。
それは仕方がないことでもある。
でもたぶん、そんな恐れを(一時的にでも)吹き飛ばしてしまう何かが、この世の中には存在しているのではないか。
だから人は結婚し、共に歩む。
恐れずに、他者の手を取って前に進ませる、何か。
大切なのは、そういうものなのだと思う。
結婚しても、結婚しなくとも。
それはそれで、それぞれで、いい。
結婚しなくても幸せになれるこの時代に、
私は、あなたと結婚したいのです。
このゼクシィのキャッチコピーは秀逸だ。
結婚はコスパではない。
あぁ、結婚、したかったなぁ。(過去形)
(コスパ男と、ではないですよ)
おまけ
実際問題、平均所得が今の2~3倍以上くらいになったら、みんなどんどん結婚するんじゃないかなぁ。(独身主義者は別として)
案外、単純なことかもね。
でも、賃上げも減税も難しそうだから手詰まっているのか。
政治経済どこまでがんばれるか。
さてさて。