うたたねモード

セミリタイア?っぽく生きてみる。

「できません」と言う勇気

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世の中の人は、できないことをできないときちんと意思表示できているものなのだろうか。

わたしは過去、「できません」の一言が言えなくて、数々の苦境に陥ってきた。

それは、前職の時に顕著だった。

 

「できません」。

そんな簡単な一言がどうして言えなかったのか、改めて振り返ってみたい。

まずは、前職に転職を遂げるところから話を始めよう。

 

 

転職オファー、来る

当時わたしは、体力的にも能力的にもそれなりの均衡がとれていた、いわば身の丈に合った短時間パート事務の職に就いていた。

ある日、恩人ともいえる人から思いもよらない仕事の引き合いをいただいた。

恩人の職場で欠員が出たので、「きみ、後任にどう?」というのである。

 

在職中のパート事務とはまるで無関係な職種である。

声をかけていただいたことはうれしいが、そんなそんな、まさか。

軽い冗談だと思い、その場は笑ってごまかして返答もせずにいた。

すると後日、何度も電話がかかってくる。「考えてみた?」というのである。

そのあたりで、話はなんとなく現実味を帯びてきていた。

 

その職は、一介のパート事務に比べれば格段に社会的信頼度が高い。

正直、魅力的である。

パート事務の仕事はすでに6-7年は勤め、愛着があった。

しかし、このままの毎日でよいのだろうか、と帰り道にぼんやり考えることが多くなっていた。

ちょうど失恋のようなものも重なって、すべてが停滞していた時期だった。

 

労働時間は倍になるが、その分サラリーもかなりアップする。

社会的信頼度も高い。

仕事の内容は未経験ながら、学生時代に学んだ分野であり興味深い。

体力的に不安がありつつも、新しい世界が広がっていそうで少し心が躍った。

なにより、声をかけてくれた人が大恩人であったので、断るに断れない空気があった。

 

家族に相談し、お医者さんからもOKをもらい、何かに背中を押されるように、トントン拍子でコトは運んでいった。

不思議なことに、わたしの中に一切のためらいもなくなっていた。

人生からGOサインが出ていたとしか思えない 。

 

欠員1人に対し3人の候補者がいて、わたしはその中のひとりであった。

恩人からは、コネクションではなく、あくまでも人事担当者による選考次第と言われていたので、ダメ元で面接に臨んだ。

落ちてもパート事務を続ければいいだけの話だ。

 

面接では、退職した前任者の仕事を引き継いでもらいたいこと、興味がなければつまらない仕事であること、ほとんどが座業の事務仕事であること、単年の有期契約ではあるが更新はあり、実際長年勤めている人も多く雇用は安定していること、などが伝えられた。

こちらは、重い荷物を持ったり走ったりするようなことはできないこと、移動が多い仕事はきついこと、将来的に再手術の可能性があること(体調を崩す可能性があること)などをお伝えした。

その時点では怖いものなどなかったので、こちらの現状も正直に話すことができたし、恩人のメンツも立てて義理は果たしたと思っていた。

 

結果、わたしが採用決定。

他の2人は、別の正規職を目指して勉強中とのことだったので、下手に職歴がつかない方がよいだろう、との人事担当者の判断だったらしい。

残りもののわたしにお鉢が回ってきた格好である。

 

そんなこんなで、オファーをいただいてからひと月あまりの間に、華麗なる転職を遂げることになったのだった。

 

虎の穴

晴れて、恩人はわたしの上司となった。

恩人と同じ職場で働けるなんて。

それは夢のようで、緊張感がありながらも新しい世界への扉が開かれたスタートだった。

 

が、日が経つにつれ、そこがとんでもない虎の穴であったことに気づくことになる。

 

促成栽培指令が出されたわたしは、さしたる新人教育もなく(まぁ、新人という年齢でもないのだが笑)現場に放り出された。

ベテランさんの見よう見まねをしようにも、ともかく何もかもがわからない。

一から勉強だ。

周りはデキる人ばかり。

評価社会の中で、失敗すれば冷たい視線にさらされる。

 

さらに、ほとんどが座業の事務と聞いていたのに、わたしにしてみると、重労働が山ほど待ち受けていた。

 

ある時は、いきなり出張を命ぜられ、12月の寒空に山奥某所の階段をのぼる。

ある時は、倉庫の中の重い資料の箱を出し入れする。

ある時は、資料を積んだ台車を押して移動する。

ある時は、お客様から依頼されたモノをバックヤードまでダッシュ(気持ちは小走りの早歩き)で取りに行く。

ある時は、連日で社外某所に詰めて終日作業する。

そして日常的に、階段昇降がある。

 

体力的につらすぎて、何度か体調を崩して欠勤することになった。

やればできてしまう。だが、やってしまうと後で体調を崩す。

結局はどれも無理な仕事だった。

しかし、やる前から「できません」とは言えないのである。

 

またある時は、新人には無茶ブリとしか思えない仕事を任される。

レクチャーもフォローもない。経験も皆無。

どうしてそんな仕事がわたしに振られるのか。

不安におののいたわたしは、

「新人のわたしにできるでしょうか?」

と上長に不安を打ち明けると、

「今更できないって言ったらカッコ悪いよね」

と一刀両断されることになった。

 

凍りつきながら臨んだ仕事の結果は、惨憺たるものであった。

ここでも、「できません」と言うことができなかった。

 

それはどういう意味ですか?

その年の冬、3年以上雇用されている有期契約の非正規社員に通達があり、突如として翌年度の採用試験が行われることになった。

かつてなかったことであり、その通達に動揺が広がった。

わたしを除くすべての非正規社員が外部申込者とともにその採用試験を受け、結果、勤続10年以上の社員3人が不合格となった。

実質上の人員入れ替え、首切りである。

 

わたしの面接時とは全く話が違っていて、これほど雇用が不安定だったことに動揺が止まらない。

自らの一挙一動、仕事の不首尾が雇用に直結する恐怖を、初めて知ったのだった。

 

それから間もなく春を目前に控えたある日、ひとりで仕事をしていたわたしの元に、面接官だった上長が訪れた。

 

「体調はどうですか?」

「体調が悪かったら、早めに休んでください」

 

思いやりのお言葉、ありがたい。

 

「体調のことはそのさん自身のことですけど、仕事を途中で休むようなことがあれば会社の責任になりますから」

 

え?

 

「自分の体調管理ができない人に、仕事は任せられませんから」

 

は?

 

「体調を崩す前に、休んでください」

 

そう言って、上長は去って行った。

 

その時点での状況も踏まえて上長の言葉を翻訳すると、

 

お前が体調崩して仕事に支障が出ると、会社の責任が問われるんだよ。

自分の体調管理ができない奴に、仕事なんか任せられないんだよ。

会社に迷惑かける前に休めよ。

(なんなら、辞めろよ)

 

ということなのだと思う。

いや、字義通り、体調を崩す前に休みなさい、との思いやりだったのかもしれない。

だがわたしにはどう考えても、「辞めろってこと?」としか受け取れないものだった。

 

そんな恫喝?脅迫?パワハラ?めいた言葉を残して、その春、首切りマシーン上長は他部署へ異動していった。

 

呪いをかけられて残されたわたし、涙目。

 

がんばるか、辞めるか。

のるか、そるか。

生きるか、死ぬか。

 

休むなどいう中途半端な道はないに等しかった。

(有休は2週間程しかなかったし、非正規なので病気休暇もない)

 

怯えながら、疲労困憊しながら、鉛のように重い身体で一日一日をやり過ごす。

 

そして翌年度、「できません」とはどうしても言えないまま、ボロボロになるまで働き続け、とあるプロジェクトが一段落した秋、ついに退職を決意した。

 

「できません」と言う勇気

「できません」と言えたらどんなにか楽だったろう。

恩師である上司からも、「できない時はできないと、きちんと言いなさい」と言われていた。

だが、「できません」とは言えなかった。

「できません」と言うことは、思った以上に難しい。

わたしのような者が「できません」と言うことに、どれだけの勇気が必要かを、他の人はたぶん知らない。

 

「できません」と言ったとして、わたしに残されていたのは閑職だけだったろう。

それも、前職のパート事務にさえ遠く及ばないほどの、つまらない仕事。

わたしにとって、もはや意義を見出せない仕事。

そんな閑職に追いやられるくらいなら、辞めた方がましだった。

職場でスポイルされることに、わたしはどうしても耐えられなかった。

だから、そこで働き続ける限り、「できません」とは言えなかったのだ。

 

わたしは、普通の人のように働きたかった。

できるなら自分の不足を隠し通して、普通に働きたかった。

だが、どうがんばっても普通の人にはなりえないことを思い知った。

わたしには限界がある。

わたしには、できることとできないことがある。

 

「できません」と言えなかったのは、恐れであり、虚栄であった。

わたし自身が「等身大の自分」を受け入れることができない結果であった。

 

わたしがわたしであることを認めなければ、誰の理解が得られようか。

 

退職した今、あの職場に意味がなかったとは思わない。

自分には何ができて何ができないのか、どこまでできてどこからが無理なのか、自分の限界を知ることができた意義は大きい。

小さい職場だったが、社会の一端を垣間見ることができた。

その社会の中で、自分はどう振る舞うべきなのかを考える機会となった。

 

これからは。

「できません」と言う勇気を持ちたい。

周囲に迷惑をかける勇気を持ちたい。

他人の評価を気にしない勇気を持ちたい。

自分の弱さや非力を受け入れる勇気を持ちたい。

そして、それでもなお、チャレンジする勇気を持ちたい。

 

「できません」と言う勇気について、考えたこと。

 

 

がんばらない (集英社文庫)

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