これからどうしますか?問題について
先日、年明け最初の定期検診に行ってきた。
診察はいつものように、「調子はいかがですか?」から始まる。
年末年始にインフルエンザにかかってしまったこと、それ以降なんだか調子がよくないこと、一時期不整脈が出てしまったこと、寒さが堪えること、それからあーで、こーで、と些細なもろもろの報告。
「それは大変でしたね」
「何型でした?」
「まだ寒いですからね」
などと先生のコメントがあり、えーそうですね、と答える。
ひと息の間をおいて、次に先生が発した言葉は・・・
「で、これからどうしますか?」
またしても、である。
この質問、実は二回目で、前回も聞かれた言葉だ。
「どうしますか?」って言われても。
どうしますか?って、どういう意味ですか?
と、よほど聞き返そうかと思ったのだが、やめておいた。
これってアレですよね、仕事とか、働くとか、労働とか、勤労とか、就労とか、就活とか、求職とか、ジョブとか、ワークとか、無職生活の将来の展望とか、いつまでニート?とか、そういったことについて聞かれてるんですよね、たぶん。
こんなに心臓にいろんなものが入ってても、働くのかなりツラくても、どれだけ体調悪いところを通ってきても、それでも働かなくちゃいけないのかな、と。
わたしも一億総活躍社会の仲間入りをして活躍☆しなくちゃなのかな、と。
あーー、やっぱり働くことが前提なんだなぁ、と思い知る。
勤労は国民の義務。
でも、
病人でも、キツくても、働け、働けって。
死ぬまで働けって。
どんだけだよ。ヽ(`Д´#)ノ
・・・すみません、取り乱しました。(^_^;)
* * * * *
現在は申し訳なくもありがたいことに扶養されている身なので、なんとか生活できている。
けれど、自分でもずっとこのままでいいとは思っていない。
働くという選択肢も、もちろん考えている。
できる限り経済的に自立したい。
ただ、もう外で働くのは限界だということも身に染みてわかってしまった。
先生には以前、「在宅ワークの方向で考えている」と伝えたはずなのだが、そんなことはカルテには記載されていないようだ。
今回も同じ返答をリピートしたが、先生はまだ納得した風には見えない。
働かないの?、働いてみたら?、働けるでしょ?、働いた方がいいんじゃない?、とでも言いたげな表情に見えるのはわたしの気のせいだろうか。
次の職(外での仕事)が決まるまで、延々と同じ質問が繰り返されるかもしれない。
「で、これからどうしますか?」と。
* * * * *
先生に限ったことではない。
働かざる者は認めない、という世間的な風潮をなにげに感じることが多い。
社会は〈働いて当然〉圧力に満ちている。
たぶんわたしの問題は、一見してどこも悪くはなさそうに見えること、働けそうに見えることにありそうだ。
そうは見えても、実際は普通の人のようには動けない。
人がこれくらいは働けるだろうと思うようには働けないし、自分があれくらいは働きたいと思うようにも働けない。
思うようにならないジレンマを少なからず抱えている。
そんな葛藤を顔に書いて歩いてるわけじゃないから、人の目には、サボタージュとかお気楽に映るのかもしれないけれど。
これでなかなか、大変なところもある。
あまつさえ、今は仮にも療養中だというのに。
そうは見えないから、何してるんだ、ということにもなる。
人に理解を求めるのは難しい。
お医者さんですら本当のところをわかってくれていない。
わかってほしい、なんて気持ちはとうの昔に通り越したけれど、実際問題、わかってもらわないと困る場面もある。
なんだか話が脱線した。
つまるところ、人から「働くこと」を押し付けられると、どうにも息苦しくなる。
今、働いていないことが、とんでもない罪悪のように迫ってくる。
働けないでいる自分の能力不全感に、がっくりと肩を落としてしまう。
まぁそれも一時的な感情に過ぎないくらいには鈍感で図太くなったきた。
とはいえ、世間の波が時折打ち寄せてくる度に、ちょっと眉をしかめている。
* * * * *
この際、世間体なんてどうでもいい。
ただ、自分が納得して自分の道を歩めるか。
無理をせず、マイペースで進めるか。
大事なことはそれくらい。
まるで自信はないけど、それなりに考えて、変化しようとしている、つもり。
この現状を受け入れて。
そして極力、自分の可能性を探ってみる。
ゴールは見えないけれど、進めるところまで、時間がゆるすかぎり。
少しずつ、先へ。
「で、これからどうしますか?」
と、自分にも問いかけ続けながら。