映画『千と千尋の神隠し』を観ました
2001年公開、いまだ破られていない日本歴代興行収入1位のアニメーション映画『千と千尋の神隠し』を観ました。
今まで、地上波の金曜ロードショーでCMありの映像しか観たことがなかったので、今更ながらDVDで全編通して鑑賞です。
あらすじは、ひとりの少女・千尋が神々の住む異世界に迷い込んで困難に立ち向かい成長するさまを描いた物語。
世界に名だたる超ヒット作、いまさら語るべきことは何もないのかもしれません。
何度観ても惹きこまれる、日本的で魅惑的なファンタジーアニメです。
公開当時(2001年)は、個人的にすごく体調が悪かった時期で、映画館には足を運べませんでした。
そして、前作『もののけ姫』の評価が二分され、宮崎駿監督の次回作が注目されていた時期でもありました。
公開から2年後、金曜ロードショーでの地上波放映が、わたしの本作初見になります。
当時(16年前)書いていたブログに、『千と千尋』鑑賞後の短いレビューを載せていたものが奇跡的に手元に残っていたので、ここで再掲しておきます。
先日、ついにTV放送。海の向こうでも数々の受賞を重ねる話題作。
異世界に迷い込んだ少女・千尋(=千)の成長を描く寓話的ファンタジー。これについてのレビューは世にあふれかえっているようなので、あらすじも解釈もここでは触れないでおく。
ただ個人的で断片的な印象だけを連ねるとすれば、絵としては、今までの宮崎アニメのキャラやシーンが思い出され、スジとしては、「不思議の国のアリス」「ナルニア」あたりがにじみ、なぜか「高野聖」「痴人の愛」までもが脳裏をよぎる(>あれれ?、笑;)。
アジア的ジャパニーズな風情。古代神話や御伽草子、(同時期にブームだった)「陰陽師」のエッセンスを加えた民俗的な世界観。子供特有の豊かな情緒の描写。そして時折透かし見える、汚れて冷めたスケルトンの現代。西欧受けや子供受けを明らかに狙ったとおぼしき遊びの部分もあり…。ようするに、芸が細かい。
私の中のコドモ(らしき部分)は絶賛し、私の中のオトナ(らしき部分)は感心するもどこか冷ややかに眺める。実のところ、星つけがたし。
評価のことはともかくとして、「ハク」の正体は粋である。「カオナシ」には共感を覚えた。私もひとことつぶやいてみる。「あぁ…」。(笑)
第75回アカデミー賞(2003年/長編アニメーション部門)受賞作。>祝!
とありました。(^_^;)
たぶんこれが、素直なファーストインプレッションだったのだろうと思います。
今、鑑賞してみると、いろんなことを考えさせられます。
千(千尋)を通して、子供(あるいは人間)の内なる潜在的な可能性・・・勇気、打開力、適応力などに気づかされます。
ハクを始めとした神々の存在は、わたしたち日本人が生活の場において、意識的にも無意識的にも「神的な存在」とのつながりや交わりを持って生きていることを思い起こさせます。
また、千のストーカーと化していたカオナシは、さながら人間の孤独、欲望、承認欲求の象徴と捉えることができます。
名前、言葉、アイデンティティーの持つ力の大きさを思います。
他にも、人は労働によって社会的に認知され、労働によって糊口をしのぎ、労働によって時には大切なものをも搾取されることなどを、曇りがちな気持ちで省みることになります。
クサレ神から出てきたゴミの山も、わたしたち人間の問題です。
片道切符の海原電鉄は、後戻りできない前に進むだけの人生のあり方のよう。
などと解釈してみたくなったりもするのですが、それはそれとして、単純に観る者のワクワク心をくすぐるエンターテインメント作品であることは疑いようがありません。
後世に長く残る、ジブリ作品の傑作のうちのひとつに数えられる作品ですね。
第75回米アカデミー賞・長編アニメ賞(2002年)
第68回NY批評家協会賞・アニメーション賞(2002年)
第28回LA批評家協会賞・アニメーション賞(2002年)
ほか、各賞受賞多数。
『千と千尋の神隠し』"Spirited Away"
2001年/日本
監督・脚本・原作:宮崎駿
声の出演:柊瑠美(千尋)、入野自由(ハク)、夏木マリ(湯婆婆、銭婆)、菅原文太(釜爺)、ほか
音楽:久石譲
おすすめ:★★★★★