働きたいと働けないと働きたくないのあいだ
先日、久しぶりに知人に会い、お互いの近況などを話しました。
退職したこと、少し体調がすぐれないこと、今は仕事をしていないこと、家事をこなすくらいがちょうどいいこと、などなど。
すると後日、再び会った知人に、「こういう仕事があるんだけど、どう?」と早速仕事を紹介していただきました。
お心遣いはとてもありがたいのですが、それはフルタイムの仕事でどう考えても無理なため、お断りせざるを得ませんでした。
(あー、残念)と思うよりも、(そんなに仕事しなくちゃいけないのかな、仕事してないとダメなのかな)と考え込んでしまいました。
働きたい
できることなら、働きたい気持ちはあるのです。
まだ療養中で求職は延期しているのですが、いつもハローワークの求人だけはチェックしています。
在宅ワークもあるのでしょうが、自分のスキルを考えると、外に働きに出るのがいちばん手っ取り早く効率よく収入を得られそうです。
今までの労働状況と体調を鑑みると、わたしが外で働く場合、一日3-4時間、週3日が限度だと思います。
経験のある事務系の求人が散見され、脳内で面接予行演習したりしています。
ただ、雇用主側に自分の持病(外からは見えない病気)のことをどれだけ理解していただけるかは、いつも難しいところです。
働けない
働きたい。けれど、もう外では働けないのではないかという気がします。
たとえば一日3-4時間、週3日、最低限の労働に従事したとして。
初めのうちはいいかもしれません。
ですが過去の経験上、日を追うごとに疲弊していくのが容易に予見されます。
危険なのは、少しずつ積み重なる疲労には気づきにくい、という点です。
理科の先生の話を思い出します。
ビーカーをアルコールランプで熱してその熱湯の中にカエルを入れると、カエルはピョーンと飛び出して助かる。
一方、常温の水の中にカエルを入れアルコールランプで熱していくと、カエルは水が徐々に熱せられるのに気づかないまま逃げず、気づいた時にはゆでガエルになってしまう。
というもの。
ゆでガエル理論の寓話です。
また、徐々に蓄積する疲労だけではなく、体調の波もあります。
短時間パート・バイトであっても、その日の体調によっては、10kgの米袋を背負いながら10時間労働しているような体感になる時もあるのです。
その疲労感覚は、お医者さんですらなかなか理解してもらえません。
自分の身体を守れるのは自分だけ。
だとすると、「もう外で働けないかもしれない」という自分の直感を大事にした方がいいのではないか、と思うのです。
働きたくない
働いたら負けだと思ってる・・・とかいうどこかのニートみたいなことは思いませんが。(笑)
働きたくても、もう外で働くのは無理だ、(外で)働かないですむなら働きたくない、と思う自分がいます。
退職してから、自分の進むべき道について少しずつ考えをめぐらせてきました。
ネット界隈、ブロガー界隈、セミリタイア界隈、投資界隈などを眺めるにつけ、外で汗水たらして働くだけが能ではない、別の世界、別の道もある、と思うようになりました。
たぶん外で働く人が圧倒的多数なのだと思います。
だから、外で働きたくないおまえ何者ぞ、と映るのかもしれません。
ですが、一部少数?の人は、外で働く以外の別の形で日々の糧を得ていたりする。
それは恵まれた一部の人かもしれない。
あるいは努力の人かもしれない。
あるいは外では働けない、外で働く以外の形を強いられた人かもしれない。
ならばもともと少数派のわたしも、そこに活路を見出してもよいのではないか、と思うのです。
実生活では、周囲の人はみな外で働く人です。
ブロガーやセミリタイア生活者(定年退職者除く)には会ったことがありません。
投資している人は幾人かいますが、みなそれ以上にしっかり外で働く人です。
ニートやSNEPや病者は、肩身が狭い思いをしています(たぶん)。
わたしは、イレギュラーな少数派です。
働きたいと働けないと働きたくないのあいだで、まだ漂っています。
でもいつか、外で働く以外の別の世界、別の形で、自分を成り立たせたい、と思っています。
そう、ひそかに願っています。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2012/08/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 16人 クリック: 1,642回
- この商品を含むブログ (103件) を見る