鏡のなかの顔を見てふと思ったこと
一昨々日、少し伸びてしまった前髪を自分で切った。
うっとうしいのが苦手なので、ブローしてオン眉になるよう短めに切る。
目指しているのは、綾瀬はるか、高畑充希の〈前髪〉である。
全体的なシルエットとしては、ホラン千秋のマッシュショートボブが理想だ。
美容師さんにオーダーするのに、このところずっと「ホラン千秋にしてください」と連呼していたため、カルテには「ホラン千秋」と書かれている。
自分の顔も年齢をも顧みず、目指すところがきれいどころすぎるのは許してほしい。
あくまでもイメージにすぎない。あるいは妄想。
少しでも気に入った風にしたい乙女心、一心であるだけで。
その前髪だが、もうちょっと、ここを少し、と切っているうちに、いつものごとく切り過ぎてしまった。
思った以上のオン眉に焦る。
しばし思案するが、まぁ許容範囲としよう。
これはモードだ、と開き直って悦に入る。
明くる日も、洗面所の鏡でチラリと前髪をチェックする。
見慣れてしまえば凡庸だ。
こんなものか。
* * * * *
ふと、鏡のなかの自分の顔に目が留まった。
あれ?、と思う。
経年劣化、変化には抗いようがないけれど、それはいったん横に置いておくとして、それにしても何かが違う。
よく見たら、自分の記憶のなかの自分の顔と、どこかが違っている。
そこで気づいた。
心なしか、以前より頬がふっくらしている。
自分の記憶のなかの自分の顔は、二年前の退職辺りの印象にさかのぼる。
頬がこけ、やつれて疲れきった顔。
それが今、鏡のなかにはいくぶん頬がふっくらした自分の顔が映っている。
太ったのか?
確かに体重は二年前から2kg前後ほど増加しているが、BMIは18.7、やっと普通体重に入ったところだ。
前職場で疲弊していた頃は〈やや痩せ〉の部類で、生来の骨太にもかかわらず線の細さが隠せなかった。
だが今は、その線の細さも消えたように見える。
毎日見ている自分の顔や姿の変化にはなかなか気づかないものだ。
この二年の療養生活の間には、この頬を少しくふっくらさせるだけの安堵と平穏があったのかもしれない。
* * * * *
毎日のごはんがおいしい。
それだけでも十分だ、という気がする。
振り返れば、
ごはんが食べられずに泣いていた日があった。
涙も出ないほど打ち砕かれた日があった。
不安と恐れで押しつぶされそうな日があった。
そんな陰の谷をいくつか通ってきた。
今でさえ、何かストレスや負荷がかかったら容易に壊れてしまいそうな自分の弱さや心もとなさを自覚している。
でも、今はただ、毎日のごはんがおいしい、という小さな恵みを素直によろこんで受け取りたいと思うのだ。
鏡のなかに頬がふっくらした自分の顔を見出して、実感する。
ようやくここにたどりついた。
やっとここまで回復したのだ。
なだらかな頬に手をあてて、うん、とうなずく。
p.s.
但し、太ったと思ったらむくんでいた、ということも過去にはあるので、調子に乗らずに体調には気をつけねばならない。