映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』を観てきました
昨年晩秋のロードショーを知ってからずっと気になっていた坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』を観に行ってきました。
2012年から2017年まで、途中で闘病休止期間をはさみながら坂本さん=教授の5年の歳月を追ったものということです。
闘病明けのゲッソリとやつれた教授の姿をいろんなメディアで目にしていたので、この映画でももしや…と思っていましたが、予想に反して、映画の中の教授は思った以上にお元気そうなお姿で安堵しました。
YMO、『戦場のメリークリスマス』、『ラスト・エンペラー』、『シェルタリング・スカイ』、『レヴェナント』、東日本大震災、反原発運動、そしてアルバム『async』まで。
一時代のPOPアイコンでありながら、作曲家であり、演奏家であり、活動家であり。
自らの作曲を自ら楽しみ喜んでいる。
自分だけが知っているこの愉悦、といった風にクシャと笑みをたたえる。
静かにバッハを奏でるところを撮影されていることに気づいて、「あっ」とはにかむ。
とてもチャーミングです。
そしてまた、津波ピアノを語り、病を語り、タルコフスキーを語り、911を語り、原発を語る。
社会派な一面ものぞかせます。
テクノ最先端を走っていた教授が、自然の音に回帰してゆく。
作られた人工音ではない、自然のノイズ。
それは、病を経た中で、自然な流れだったのだろうと思います。
病の不安を抱えながらも、だからこそ、残り時間の中でさらにすばらしい音楽を作りたいという希求。
教授は、やはり音楽家なのだ、と思いました。
昨年、『async』というアルバムが出ました。
前述したように、自然の音を録音した音源を使って仕上げられたアルバムです。
昨年春、ちょうどわたしがプチ入院している間、無料キャンペーンでプレミアムアップグレードした Spotify でこのアルバムを聴きました。
たしかにノイズ的。
シンセを使いながら、プリミティブ、ノスタルジック、かつ前衛。
でも、自然のゆらぎのように耳に響いてきます。
現在の教授の〈位置〉を確認できるようなアルバムです。
入院中だったわたしは、このアルバムの音に埋もれて、正直なところ滅入りそうでした。
でも、今回ドキュメンタリー映画を観て『async』の制作風景を知り、なんとなく腑に落ちたものがありました。
とても孤独だが、とても強い、生命の発露。
そんな印象を受けたのです。
映画を観ながら、タイトルのCODA…コーダについて考えていました。
コーダといえば、こんな音楽記号。
コーダ(coda)は、楽曲において独立してつくられた終結部分をいい、しばしば主題部とは違う主題により別につくられているものを指す。元来は「尾」を意味する語で、ラテン語のcaudaに由来する。日本語では「結尾部」「結尾句」「終結部」などとも記される。小規模なコーダはコデッタ(codetta、日本語では「小結尾部」とも)と呼ばれる。
映画のコピーにも、「これは最終楽章のはじまりなのか」とあります。
教授にとっての最終楽章と考えてみると、とても重みがあります。
わたしたちは、教授の最終楽章を目にしようとしているのでしょうか。
今この時代にともに生きていることの幸いと、(誰しも)いつか終わりが訪れることへの形容できない不安のようなもの。
教授の映像ポートレイトを観て、ただ厳粛な気持ちになるのです。
ともかくも、教授から紡ぎだされる「音楽」「音」がすばらしい映画でした。
最後に、バッハを練習しなくちゃ、とピアノで静かにコラールを弾いていた姿が心に残ります。
『Ryuichi Sakamoto: CODA』
2017
監督・プロデューサー:スティーブン・ノムラ・シブル
おすすめ:★★★☆
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