世界とつながりたいと思った19歳のあの日
「ご趣味は?」と尋ねられたら、わたしはなんと答えるだろうか。
ピアノ?・・・近年はまったく弾いていない。
音楽鑑賞?・・・今はもうステレオの前でガップリ四つで鑑賞するようなこともない。
映画鑑賞?・・・映画は好きだが最近めっきり観ていないし観る気がしない。
読書?・・・本を読むのは苦手である。
料理?・・・毎日普通にごはんを作るにすぎないので思い入れはない。
はて、わたしの趣味は・・・?
じっと考える。
正直に言おう。
それは、インターネットである。
インターネットは趣味になるのかわからないし、まして婚活プロフィールやお見合いの釣書には書けそうにない。
だが今日までずっと飽きずに続けてきたものは、インターネットくらいしか思い当たらないのだ。
もうこれは趣味認定してもよいのではないだろうか。
孤独の中で
まだ「子供」と分類される年齢の時、不運にも心臓を患うことになった。
友達とバスに乗って街の映画館に映画を見に行く、友達の家に遊びに行って泊まってくる、といった付き合いがようやくできるようになった年頃でもあった。
病気を機にそんなこともできなくなり、友達たちとの距離はどんどん離れ、やがて疎遠になった。
学校にはなんとか通っていたが、放課後に友達とどこかに寄り道などということもできず、教室の中に限定された希薄なつながりしか築けないでいた。
19歳の年、私は孤独だった。
外の世界は学校だけ。
家に帰れば一人。
長い夏休みも、冬休みも、ずっと一人。
自分の部屋に引きこもっていたわけではないし、幸いあたたかい家族はそろっていたけれど、自分の中の圧倒的な孤独をどうすることもできないでいた。
家族ではダメなんだ。
社会とつながりたい。
世界とつながりたい。
そう思っていた。
パソコン通信との出会い
今となってはどこで情報を得たのかも忘れてしまったが、「パソコン通信」なるものがあることを知った。
パソコンを使って、電話回線でつながっている人とやりとりできるらしい。
障がい者の社会参画にも寄与しており、外に出ていけない人とも親和性が高いらしい。
わたしと世界をつなぐものは「これだ」と気がついた瞬間だった。
時を置かずしてパソコンショップに出かけ、パソコンを触ったこともないのに、当時最新機種でもあったノートパソコン(NEC98互換機のエプソン製)を手に入れた。
今思えばとんでもないバブル価格で学生ごときが手にできるモノではなかったが、何度も親に頭を下げ頼み込んでのことだった。感謝してもしきれない。
早速、2400bpsのモデムを電話回線につなぎ、MS-DOSのプロンプトにコマンドを打ち込んで、地方の草の根BBS(パソコン通信)にアクセスしてみた。
そこには、人々がいた。
わたしがつながりたいと思っていた社会があった。
ひとつも身体の制限を感じることなく、自由な世界があった。
初めてのオフ会にも出かけた。
20~40代のお兄さんやお姉さんとおしゃべりするのは、夢のような時間だった。
草の根BBSと並行して、当時のパソコン通信大手だったNIFTY-Serveにも加入した。
さらに多くの人々がいて、大きな世界があった。
大きすぎてROMだったけれども、テレホーダイの時間にオートパイロットでログを落としては、夜更けまで読み漁っていた。
その後、Windows95の登場とともにインターネットがやってきた。
それから、それから、それから・・・
そして今も、いつもとなりにネットがある毎日を送っている。
インターネットの存在
たぶんわたしの人生は、多くの部分でネットに彩られている。
孤独だったかもしれないが、一方では孤独ではなかった。
その時々に出会うべき人々とかかわり、世界の一員であることができた。
インターネットは、わたしにとってセーフティネットの一つである。
その存在に、どれだけ救われてきたかわからない。
たぶんこれからも、インターネットとその周辺に触れながら、救われながら生きていくのだろうと思う。
新しい人々と、新しい世界と、いつも出会い、どこまでもつながっていたい。
あ、インターネット老人の戯言ですので、歳はきかないでください。(笑)