【映画】『めぐり逢えたら』を観ました
HDDに眠っていた映画鑑賞シリーズ、です。
今回は、トム・ハンクス、メグ・ライアン黄金コンビによるラブロマンス、『めぐり逢えたら』。
あらすじは。
トム(トム・ハンクス)は妻を亡くし、息子と二人、シアトルで悲しみの日々を送っていた。ある日息子ジョナがラジオ番組に電話し「パパに新しい奥さんを」と相談。電話を替わったトムは妻とのことを語り、それを聞いたリスナーから大反響。ボルチモアに住む新聞記者アニー(メグ・ライアン)もトムの言葉に心打たれた一人。運命を感じたアニーはトム親子に手紙を出して、、、というお話。
つまり、ビビビッときてしまったアニー。
すでに婚約者がいるのに、心はトムを想うばかり。
人と人とが出会うときの "magic(魔法)" とか "sign(運命)" とか、そんなものを追い求めて。
劇中、ケイリー・グラントの「めぐり遭い」のシーンが引用されていて、二人の出会いも運命的なもののように。
デート映画にちょうどよいのではないかと思います。
お気楽に観られるハート・ウォーミング映画。
若きトム・ハンクス、キュートなメグ・ライアン、懐かしかったです。
『めぐり逢えたら』 "Sleepless in Seatle"
1993年/アメリカ
監督:ノーラ・エフロン
キャスト:トム・ハンクス、メグ・ライアン、ビル・ブルマンほか
おすすめ:★★★
【映画】『アマデウス ディレクターズ・カット』を観ました
HDDに眠っていた映画鑑賞シリーズ、です。
今回は、随分と昔の映画ですが、1984年製作の『アマデウス』。
18世紀後半に活躍した大音楽家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの半生を、彼を崇拝しつつ嫉妬し憎悪した宮廷作曲家サリエリの視点を通して描きます。
予告編はこちら。字幕なし。
これ、公開から数年後?にテレビ放映された際にドハマリして、VHSビデオテープに録画したものを十数回は観たと思います。
当時はこの映画に「熱狂」していたのですが、今回の印象は「陰鬱」なものに変わっていました。自分のメンタル状況もあるのでしょうか。観ていてとても辛かった。
ディレクターズ・カット版ということで、劇場公開版と明らかに違ったのは、仕事を推薦してもらうためにサリエリの元を訪れたコンスタンツェとのやり取りの続きでした。
正直、この部分はいらなかったかな、と思います。
モーツァルトの直筆のオリジナル・スコアを目にして驚愕し感嘆し絶望したサリエリが楽譜を取り落とす。その楽譜を拾いながらサリエリを見上げて出来を問うコンスタンツェを尻目に、楽譜を踏みつけてその場を去る…という端的な劇場公開版の方が、それだけでサリエリの心中を核心的に描き出し、効果的だったような気がします。
傲慢さ、猥雑さ、浪費癖のゆえか、神童上がりのキワモノ的な扱いのモーツァルト。その音楽的才能を高く買ってくれる人は少ないように見えます。
そんな中、真に彼の音楽性を理解したサリエリ。
神に愛されし者モーツァルトに対し、音楽を愛し神に仕えながら凡庸なる才能しか与えられず、嫉妬と憎悪に苛まれ苦悩するサリエリ。
モーツァルトの死後もずっと苦悩し続けてきた老人サリエリは、ついに自らを傷つけ、神父の前で、神を棄てモーツァルトを破滅させると決意した心中を告白する。
サリエリの回想の中で、モーツァルトの人となり、その音楽の美しい調べが流れます。
快活に飛び回っていたモーツァルトが、次第に困窮し、衰弱し、死に至る様が哀しくて。
当時この映画を観て、モーツァルトのCDを買い集めたことや、岩波文庫の「モーツァルトの手紙」を読んだことを懐かしく思い出しました。
35歳の早逝。信じられない音楽の業績。
モーツァルト、すごいなぁ、と思います。
そして、十字架を暖炉の火にくべたサリエリの苦悩にも、同情を禁じえません。
そうそう、今回は字幕版でしたが、テレビ放映当時に観たのは日本語吹き替え版。
三ツ矢雄二のモーツァルト、日下武史のサリエリ、宮崎美子のコンスタンツェは最高でした!!
日本語吹き替え版、超おすすめです。
『アマデウス ディレクターズ・カット』 "Amadeus"
1984年/2002年/アメリカ
監督:ミロス・フォアマン
原作・脚本:ピーター・シェイファー
キャスト:F・マーレイ・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ他
おすすめ:★★★★
【映画】『硫黄島からの手紙』を観ました
HDDに眠っていた映画鑑賞シリーズ、です。
今回は、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』。
米国側からの視点である『父親たちの星条旗』と対をなす、日本側からの視点で硫黄島の戦いを描きます。
過去記事『父親たちの星条旗』はこちら。
予告編はこちら。
先の大戦から戦後76年を経て、あの戦争は何だったのかと思う。
あの戦争はもはや遠い過去になってしまい、広島原爆の日のニュースもオリンピックにかき消されるように過ぎ去った。
本当にあの戦争はあったのだろうか、と思ってしまうほどに少しの感傷さえもなく。
だが、確かにあの戦争はあって、あの戦いで死んでいった人たちがいるのだ。
私事になるが、大正生まれのわたしの祖父はとても快活な人だった。
その祖父も、昭和19年に20代前半で召集され朝鮮半島に赴いたが、演習を終えて日本に一時帰国し転戦待機中に終戦を迎え、命長らえたという。
祖父は戦後、戦争の話は一切しなかった。わたしから聞いたこともない。
ただ、親しい人と酒を酌み交わしほろ酔いで気分がよくなると、必ず東京音頭と軍歌「同期の桜」を高らかに歌い、万歳三唱するのだった。
晩年、交通事故に遭った祖父は頭部外傷を負い、その後遺症もあって認知症の症状を呈するようになり、幻覚と徘徊がひどくなった。
そんな恍惚の人となった祖父の目の前に現れたのは、「天皇陛下」だった。
わたしがピアノを弾いていると、「うるさい! 静かにしろ! 今、天皇陛下が来てるんだ!」と言って、直立不動で虚空に向かって敬礼する祖父の姿が忘れられない。
陛下は、しばしば祖父の前に現れていたようだった。
70代半ばになって、今を失い夢に彷徨う祖父は、あの時の陛下とともに生きていた。
硫黄島で、そして各所でお国のために戦っていた兵士たちは、何を思っていたのだろう。
彼らの死に、どんな意味を見出したらよいのだろう。
1975年、戦争責任について問われた昭和天皇は、次のように述べたという。
「戦争責任というような言葉のアヤについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」。
この人の名の下に戦い、散っていった幾千万の兵が、これを聞いてどう思うだろうか。
戦後統治のために維持された国体、天皇制であったのかもしれないが、この人が戦争責任を負わなかったことは、最大の過ち以外のなにものでもない気がする。
戦争は虚しい。
誰一人、戦争でなんて死んでほしくはない。死ぬべきではない。
(米国側から見た)敵国日本人も、家族を想って国を想って戦っていたのだ、という映画。
『硫黄島からの手紙』"Letters from Iwo Jima"
2006年/アメリカ
監督:クリンド・イーストウッド
キャスト:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童、裕木奈江、ほか
おすすめ:★★★